どうも、ゆずすけです。
最近、こんなツイートをしました。
偏差値30の女の子が「家族と友達は、神様からの贈り物だよ。出会いに感謝!」と真面目に語っていた。彼女の世界はキラキラしてる。”分かりやすい幸せ”で溢れている。つまり、人は必要以上の知識を頭に入れると、”分かりにくい幸せ”になるんじゃないかな。
— ゆずすけ🍊 (@curiosity_com) 2019年1月25日
偏差値30の女の子が「家族と友達は、神様からの贈り物だよ。出会いに感謝!」と真面目に語っていた。彼女の世界はキラキラしてる。”分かりやすい幸せ”で溢れている。つまり、人は必要以上の知識を頭に入れると、”分かりにくい幸せ”になるんじゃないかな。
『645いいね』と、結構反響のあったツイートだったんですが、140文字では伝えきれていない部分があったので、今回の記事では深めに内容を書いていきたいと思います。
このツイートで伝えたいことは2つです。
1つ目は、『知識を詰めこみすぎると、未来に怯えて今の幸せが見えなくなる。』
2つ目は、『僕らは知る悲しみを踏まえて乗り越えて、世の中をシンプルに見ることができる。』
それでは参りましょう!
不幸な知識人たち
僕たちは生まれてこの方、本で勉強したり、社会勉強をするなかでいろんなことを学んできたと思います。
しかし、

と感じる人もいるんじゃないでしょうか?
つまり、『勉強すればするほど幸せ度合いが下がる。』という現象が起こっているということです。
「うんうん、分かる分かる!だって、幼稚園児の頃は何も深いことを考えなかったから悩みとかなかったしね。」と首を縦に振ってくれている方が多いことを祈るばかりですが、
程度の差はあれ、勉強して知識をつけていくごとに、幸せ度合いが下がっている人はほとんどだと思います。(ゆずすけ調べ)
じゃあ、なぜ僕たちは勉強すると、幸せ度合いが低くなるんでしょうか?
結論から先にいうと、幸せ度合いが低くなる理由は、『知識によって未来に対していろんな恐怖を感じるようになったから。』
これです。
もっと言えば、いまある幸せに対して無頓着になってしまっていたからです。
そんな僕の気持ちを代弁してくれたフォロワーさんのコメントがこちら
↓↓↓↓
「必要以上の知識があると幸せがわかりにくくなる」んじゃなくて「学校でがりがり勉強したから偏差値は高いけど、自分が本当は何をしたいのかじっくり考える暇も機会もないままだった人には、何が幸せなのか結局わからない」という方が実態に即しているような https://t.co/Mk3VyV04sr
— Hal.J (@HalJ99013140) 2019年1月26日
「必要以上の知識があると幸せがわかりにくくなる」んじゃなくて「学校でがりがり勉強したから偏差値は高いけど、自分が本当は何をしたいのかじっくり考える暇も機会もないままだった人には、何が幸せなのか結局わからない」という方が実態に即しているような
僕は高校時代に結構勉強漬けの毎日を過ごしていました。
部活にも入っていなかったので、放課後は塾に行って、夜食のおにぎりを食べ、23時まで勉強して、帰宅。
そんなことを三年間続けたわけですから、数学の青チャートを10週以上やっていたんじゃないかと思いますw
で、僕が勉強していたのは、いい大学にいくため。
いい大学に入るための修行だと思っていました。
でも、実際のところは、何かを深く考えていたわけではありません。
まぁバカだったので、『いい大学にいったらバラ色の人生だ!』と洗脳されていたわけですw
だから、本当に自分がやりたいコトなんて1mmも考えずに周りの同調圧力に従うように勉強していたんですね。
周りの環境に『反応』するだけで、主体的な勉強はまったくしていませんでした。
だって、いい大学にいって、いい就職先に務めることが一番の安心できる未来だと確信していましたし、なによりレールから外れることが非常に怖かったんだと思います。
逆にいえば、未来への恐怖を直視しないために思考停止して勉強をしていたとも言えますね。
狩猟民族と農耕民族

と、僕の高校時代のように、我々は目の前のことじゃなくて恐怖や不安を感じることができます。
いい大学にいくことが安心安全だと思い込まされて、その安全なレールをはみ出る未来に恐れて勉強をしていたわけですから。
でも、目の前に恐怖があるわけではないじゃないですか?
目の前でナイフを出されて、喉元に刃を食い込まされたら、怖いのは当たり前ですが、僕の場合は実際に起こっていない未来のことに恐怖や不安を感じてました。
繰り返しになりますが、僕らは未来を予測することによって不安になるわけじゃないですか?
うん、これが幸せ度合いが下がる一番の要因です。
でも、これは僕だけの場合だけでなく、我々の先祖だって同じことが言えます。
その昔、狩猟民族としてイノシシを狩っていた頃は、その日の目の前にあることに集中していました。
3日間に一回の狩り。
1日3時間のキノコ採り。
それだけやれば十分に家族を養えていました。
ちょっとイメージと違いますよね?
意外と狩猟民族時代は暇なんです。
(実際に、生命維持のためにはそれほど労力がかからなかったというデータが出ています。)
となれば、狩猟民族時代は、目の前のことだけをやっていれば幸せに暮らすことが出来ていたと言えます。
でも、農業革命で小麦の栽培が始まったことで生活に大きな変化が起きたんです。
で、です。
実は農業革命は、人類最大ともいえる不幸の入り口だったんです。
農業革命で小麦の栽培が始まって一番大きな変化は、『大量の栄養供給と食料の備蓄』。
簡単に言えば、「ありあまるほどの食料を手に入れることできた」ってことです。
『おおぉぉ〜すげぇじゃん!人類が進歩した!』とプラスの印象を持たれる方が多いと思います。
でも、これが原因で人間は不幸の道を歩み始めたんです。
食料が大量に収穫できるようになると、余裕が出てきます。
すると、未来のことを考え出します。



みたいな感じで、未来に恐怖を感じるわけです。
これは就職とか老後の年金問題と同じですね。
未来に対する知識があるからこそ、未来に対して空想を膨らませて不安になっていくんです。
あ、でも、僕は未来のことを考えることを否定していません。
むしろ、素晴らしいことだと思います。
ただ問題は、『未来に恐怖を抱き、今を懸命にいきて、幸せを感じることに対して不感症になっている。』ってことであります。
人類が小麦に騙された日(サピエンス全史より) 1/2 pic.twitter.com/qPNRjWa7PN
— 海行(うみゆき) (@_darger) September 22, 2017
人類が小麦に騙された日(サピエンス全史より) 2/2 pic.twitter.com/qVyBsY4Yjz
— 海行(うみゆき) (@_darger) September 22, 2017
キラキラ幼少期的なやーつ
はい、次に僕が言いたいことは、
『確かに知ることによって不安になることはある。』
『でも、その不安を踏まえて乗り越えて、世の中をシンプルに見ることが大事』
ということです。
子供のころって、割と世界がキラキラしていた感じがするんですよね。
例えば、「将来の夢は?」って聞かれたら、「プロ野球選手!」って答えるくらいには、無垢だったわけです。
おそらく僕らが子供の時は、『プロ野球選手になれる、なれない』とか、そんなことは1mmも考えていなくて、
『将来がそんな風になったらうれしいなぁ。』くらいにしか思ってなかったと思うんですね。
ただ実現確率が圧倒的に低いことなんてわかっちゃいなかった。
でも、どうだろうか?
僕たちが高校生とかになったら、もう現実と対峙することになるじゃないですか?
あいつはすごいだとか、あいつはバカだとか、そんな感じで社会全体のヒエラルキーが出来上がってくるのをヒシヒシと感じるわけです。
小学校で仲の良かった医者の息子は、頭のいい私立に行くことになって、「あれ、僕たちは同じ町で生まれたのに、違う道を歩むことになるんだ。」という感じでしょうか。
で、そうやって今まで表面化されていたなかった何かを目の当たりにした時に、なんか絶望するんですよ。
「あー俺はプロ野球選手なんてなれねぇわ。」ってね。
ただただ無知なだけで、知ろうともしなかった。
そこまでやってきていた現実を知らずに気づいたら、「自分がいかに努力してこなかったのか?」と気付くんですよ。
もし、気づかなければ、僕はもっと純粋無垢にいきられていたのかもしれない。
まぁそうやって思う人が多いと思うんです。
例えば、僕は『何者かになりたい。』って思ったんですよ。
それはいつだか忘れちゃったんだけど、高校とか大学の時に、「オレはすごいやつになりたい」と思ったんです。
じゃあ、どうしようかって考えて、ヒッチハイクとかしたりさ、休学して海外に行ってみたり、現実を知った上で行動しようと思ったわけです。
若気の至りですねw
でも、あなたもご経験があると思います。
知人でみんな目に見える結果を出している人がいますよね。
社会的に大成している人もいれば、ニュースを見れば、羽生くんはあの若さで世界で勝負してたりするんです。
あ、芦田愛菜ちゃんとか、意味不明なほどすごくないですか?
ともすれば、自分が情けなく思えてしまった。自己嫌悪ってやつです。
知ってしまったからこそ、怖いんですよ。
何者かになれないとわかってしまったからこそ、そういう絶望の世界で戦うしかなかった。
知る喜びはあるけど、それは同時に知る悲しみであるわけです。
まぁともあれ、歳をとるとそうやって未来を直視することになるわけじゃないですか?
でも、それは必要だと思うんです。
未来を直視することから逃げたら、ずっと自分に嘘をついて不平不満をいうオジサンになりさがりますからね。
だから、自分が行きたい方向性に気づいて、そのために頑張るっていいことだと思います。
現実逃避を繰り返すのは、ピーターパン症候群じゃないかと思うわけです。
ずっと自分の世界に閉じこもっていてもまぁ意味がない。
ただ繰り返し言いたいのは、「未来に備える」っていうのは大事なんだけど、未来に恐怖するためにやるもんじゃないじゃないかな?ってこと。
知るっていうのは、世の中をよりシンプルに美しくみるためのものなんじゃないかな。
で、この図を見て欲しいんです。
僕が伝えたいことが全て詰まってる気がします。

↑中途半端に知識をつけた時に見える景色は絶望

↑学んだ先にある綺麗な景色
で、結局、何が言いたいかというと、 『知識を得た先には綺麗な世界がある。』ということ。
人間って常に進化するために頑張っているわけじゃないです?
僕は「巨人の肩に立つ」って表現をよく使いますが、これまで過去の偉人が築いた業績を踏まえて、過去の方々が見ることができなかった未来を創造していくことができると思うんです。
で、それってとっても楽しそうじゃないですか?
僕は宇宙の果てまで知って死にたい。できれば不老不死になって人類の終わりまで見届けて死にたいと思います。
で、知る悲しみが存在することは確かですが、それを知った上で自分の人生が具体的に始まり、一つ一つ壁を壊していくのも面白いんじゃなかな。と思うわけです。
『見えなかった世界が見えるようになる。』
僕たちはそのために生きているんじゃないかと思うんです。
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オタクとマイルドヤンキーは幸せそうで、インテリが一番不幸せそう。
— 芳野真弥 Imaginary Love (@m_t_t_b) January 31, 2019
給与とプライベート時間をすべて趣味に突っ込む人生、悪くないと思う。
情強気取りのインテリ(資産運用が、ビジネススキルが、市場価値が…)より全然楽しそう。
— 芳野真弥 Imaginary Love (@m_t_t_b) January 31, 2019
プラレールを自分で改造しちゃう大人とか、フィギュアを大事に飾ってる大人とか、自作漫画を売買するイベントを楽しみにしている大人とか、バズーカ砲みたいなカメラを持っている大人とか、大好きです。まじで。
— 芳野真弥 Imaginary Love (@m_t_t_b) January 31, 2019
一方で、マイルドヤンキーも幸せそうだけど、自分とはやっぱり合わないなと思う。
— 芳野真弥 Imaginary Love (@m_t_t_b) January 31, 2019
オタクとマイルドヤンキーは幸せそうで、インテリが一番不幸せそう。
給与とプライベート時間をすべて趣味に突っ込む人生、悪くないと思う。
情強気取りのインテリ(資産運用が、ビジネススキルが、市場価値が…)より全然楽しそう。
プラレールを自分で改造しちゃう大人とか、フィギュアを大事に飾ってる大人とか、自作漫画を売買するイベントを楽しみにしている大人とか、バズーカ砲みたいなカメラを持っている大人とか、大好きです。まじで。
一方で、マイルドヤンキーも幸せそうだけど、自分とはやっぱり合わないなと思う。
とはいえ、、、
こうやって僕はつらつらと個人的な見解を述べてきたわけですけど、まぁこれは「酸っぱいぶどう」でしかないとも思います。
あ、「酸っぱいぶどう」っていうのはイソップ寓話の一つです。
以下、あらすじを引用
むかしむかしあるところに、旅を続けているキツネがいました。
キツネは食べ物も小川もないところを歩いていたので、何も食べていない日が続いていました。
キツネが歩き続けていると、道の途中にぶどう畑が見えてきました。
腹ぺこでノドもからからだったキツネは大喜びでぶどう畑へ近づきましたが、ぶどうの木が高くて手が届きません。
キツネが背伸びをしても、どんなに高く飛び上がってもぶどうを取ることができませんでした。
ぶどうを取ることに疲れてしまったキツネは、自分のしっぽでさえ重く感じてしまいました。
おいしそうなぶどうを目の前に、ツバすら出てこなくなっていました。
悲しくなったキツネは、「どうせこのぶどうはすっぱくてまずいに違いない。絶対食べてやるもんか!!」と言い、その場を去っていきました。
この寓話をようやくすると、『自分が欲しかったものを諦めた時に、諦める理由を自分で捏造する』ってことですね。
僕は本当はマイルドヤンキーになりたかったのかもしれない。
故郷の田舎に住んで、地元でのほほんと暮らしている人。
週末はイオンモールで映画を見て、自分たちの人生になんら疑問を持つことなく、(実際には疑問を持っているかもしれないけど)ある種、思考停止で社会に適応している人がうらやましかったんじゃないかとも思います。
でも、まぁでも僕はその世界には戻れない。
世界の広さを知ってしまったからこそ、元に戻れない。
じゃあ、自分が生まれた意味を作り出していった方がおもろいんちゃうかなと思うのです。
おもしろいコラム
ここまでツラツラ書いた文章を読んでくださりありがとうございます。
ちょっとここからは余談です。
のんびり読んでいただけたらと思います。
この記事で書いた「狩りから稲作」の話は、ユヴァル・ノア・ハラリさんが書いたホモ・サピエンスから引用させていただいたストーリーです。
『狩りから稲作に変化したことで人類は不幸になった。』って話でしたね。
1万年ほど前、人類は狩猟採集を辞めて、小麦や稲を育てる定住生活を始めました。
これを農業革命っていいます。
この革命を社会の授業で、素晴らしいものかのように形容されていましたが、
サピエンス全史の著者は、農耕民よりも過去の狩猟採集民の方が豊かな暮らしをしており、「農業革命は、史上最大の詐欺だった」と語っているんですね。
なんでかといえば、ホモ・サピエンスが小麦や稲に家畜化されたからです。
言い換えれば、「人類の家畜化に成功した小麦」ってことです。
「は?ホモ・サピエンスが小麦を栽培したんだから、人類が家畜化されたって意味不明じゃん?」って思われた方も多いかもしれません。
でも、少し考えてみると、栽培する以前は小麦なんてものは、ただの野草に過ぎなかったことに気づきます。
が、突然、世界中で小麦は大事に育てられるようになりました。
つまり、生物の目的を種の繁栄って考えた時に、「小麦は植物のうちでも地球の歴史上で指折りの成功を収めた」って言ってもいいんです。
だって、人間は小麦のために畑を荒らす動物から守ったり、水を苦労して運んだり、糞便まで集めて地面を肥やしたりという労働を強いられましたんですから。
で、人間の身体はこのような作業のために進化していなかったので、古代の骨格を調べると椎間板ヘルニアや関節炎などの疾患があったことが分かるそうです。
しかし、ここまで苦労しているのに、飢えや病気のリスクは狩猟採集生活よりも高かったらしいんです。
「じゃあさ、そんな欠陥があったらなら、なぜそんな狩猟生活に戻ればいいんじゃない?」って思うじゃないですか?
でも、もう引き返せなかったんです。
その理由は2つ。
- かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったから
- 人口が増加して後戻りできなかったから
でも、現代にも同じようなことがいえるんじゃないでしょうか?
衣食住は昔より圧倒的に改善されたけど、スマホに家畜化されているとも言えますよね。
ありきたりな文章の締め方をしめますが、やっぱり豊かさの罠ってありますね。
というわけで、終わり方が分からないのでこの辺でドロンしますw
それではまた別の記事で会いましょう!!